ごめんなさい。は逆に子供に失礼なのかも
「ママと私、3歳の頃すごく喧嘩した!でも、それもいい事よ!」
笑顔で堂々と言う、5歳のわが子がかっこいいと思った。
私は「いい母」ではない。
見えない世間の目におびえて、いい母像であろうと偽って、
人の目があるときはいい母のふりをするけれど、
何かうまくいかないと、それは全部自分のせいだと責めて、勝手に苦しくなって子供に強い言葉であたった。
そんなことをする自分にまたあきれて、苦しくなって、、
長女が3歳のころで、物心がついている、母親の存在が大きい時期。
こんなことではいけない。もっといい母になりたい。私のせいで大切なわが子を。
とても大切なわが子を私が傷つけている。
子供は私の顔色を伺うようになり、3歳とは思えないほど聞き分けが良くなっていた。
それをポジティブには考えられず、かわいそうだと思った。
違うきっかけでのびのびと育てる教育方針の保育園に転園、それから1年後私に病名がついた。
病気と言われて、正直ほっとした。
「もう、がんばるのあきらめていいんだ。無理って言える理由ができた。」
それからまた一年。
以前よりだいぶ考えの偏りがなくなり、諦められるようになり、家族に笑顔が戻ってきた。
だけど心の奥で自分のしたことは消えてなく、ふとした時に長女を見ると「ごめんなさい」と思う自分がいた。
私のせいで、大事な時期に傷ついたわが子の未来は大丈夫だろうか。
繊細な性格は私のせいではないだろうか。
「ママと私、3歳の頃すごく喧嘩した!でもそれもいい事よ!」
自分中心の考え方に子供を巻き込んでいることに気づいた。
彼女は、私が思っている以上に強く、前を向いていた。
こどもが求めている言葉は「ごめんなさい」では、ない。
信頼すること。応援すること。
生まれてきてくれてありがとう。
母は弱いままで、だけど笑う。あなたを視界にいれて、一緒に笑う。